ルーブル展の後、急ぎ戻る友と別れ、
私は一路、湯島天神へGO。
ここでなぜ湯島天神かというと、2年半ほど前に遡るのですが、
長男の高校受験のために初詣でお参りして、
その菅原道真さまのありがたいご利益を受けていたものの、
あらあらあららららら・・
また願掛けに行くのに(←ここが大事・笑)
私ったらお礼参りにも伺ってない、と、気になってたのでした。
受験生を2人抱えて母ができるのは、食べさせること、
そして、お祈りすることくらいだから、
ここはもうひとつちゃんとしなくちゃとテクテク向ったのでした。
地図が読めない女、途中、おまわりさんに場所を聞いたり大変です。
でも、歩いてみたら、旧岩崎邸がすごく近いことに気づき、
ひとりの気ままさでここに寄り道。
旧岩崎邸っていうのは、三菱財閥初代岩崎弥太郎の息子が、
ジョサイア・コンドルという日本近代建築の父に建てさせた豪邸で、
つい先日、「明治のお嬢さま」という本で、
明治の高額所得者番付のようなもので、
この岩崎家がぶっちぎりのお金持ちだったのを読んだばかりだったのと、
この日の最終目的地が建築展だったこともあって、
私にとって運命の導き。(←すいません、大げさに語ってます・笑)

まず、ここで「明治のお嬢さま」という本のお話をさせていただくと、
これはスマッシュヒットの面白さでした。
明治という時代を、
セレブなお嬢様の生活を通して世俗的に知ることができるので
なんとも楽しかったです。
たとえば、女子にも教育が必要だからと(学習院に)できた華族女学校のこと、
その入学式に皇后さまがいらしておすべらかしの髪に十二単、
なのに足元はハイヒールといった格好だったこと、
この学校長に乃木大佐が就いていたことがあり、
その時在学していたお嬢様が日本初の美人コンテスト(写真審査)で優勝して
退学処分を受けたことや、
それまで素人の女性の写真が雑誌を飾ることはなかったのに、
国木田独歩が「家庭画報」を発行し、
皇族やセレブなお嬢様の写真を載せたということでそれらの写真も楽しめ、
ついでに美容体操の言葉のルーツもわかり、
明治のお嬢様ライフのトリビアが満載でした。
津田梅子さんも華族女学校で教えていらして、
それに飽き足らず津田塾大学創設に至ったとか、
韓国王家に嫁がれた梨本宮方子さんのお母さまが皇室に嫁がれたあれこれ、
女性はお顔だ、いいところに嫁いでこそという風潮は、
今の感覚からすると、そういう時代だったんだろうなあで終りますが、
いろいろな選択肢がないからこそ揺るがず生きていけたとしたら、
それはそれで幸せだったんじゃなかろうかと思いもしました。
ひょっとしたら、多くの選択肢の中から
自分の幸せを見つけなければいけない今の時代のほうが大変かも。
お暇ならそんなことにも黄昏ながら(笑)、
この本を手にとってみてくださいませ。

で、お話をもどすと、旧岩崎邸を建てたジョサイア・コンドルは、
あの鹿鳴館を建てた方でもあったんですよね。
これを知っただけで胸躍る私って紛れもなくミーハー。
ここはもちろんゴージャスな邸宅を堪能しました。
あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、
どこを見ても立派で贅をこらしていてため息が出ます。
トイレの便器と手洗いは、ロイヤルドルトン制で、
ベランダを敷き詰めたタイルはミントン制です。
でも、私がこちらの中で一番感動したのは、
かなりなピントズレですが、
東芝が日本で初めて作った電球が展示されていたこと。
これは東芝の社史でも見た画期的な発明品だったんですよね。
その実物をまさか見ることができるなんて思っても見ませんでした。
さすが、お金持ち〜。(笑)
でも、何故これが感動ポイントだったのかは謎にしとこう。(笑)
どのお部屋を見てもゆったりといい気分で、
回りばかりみていたので気づきませんでしたが、
床は部屋ごとに木の寄木が違っていたそうです。
ひとりぷらぷら見学していたので、
係のお姉さまからいろいろお話を伺うこともでき得した気分でした。
ただ、すぐ煽られて、鹿鳴館にも貼られていたという
復刻された金唐紙という壁紙のしおりまで購入。
年に2回、この壁紙を作るワークショップもあるそうで、
工芸に興味のおありの方は、
この案内は庭園に行こうに出るそうですので、
気にかけてチェックしてみてください。
和紙の上に錫を塗って、それを丸い木型に押し当てレリーフ上にし、
小筆で仕上げの細工をするという本格的な工程です。
私も、和室の外でゆったり抹茶をいただきながら、
工芸に再訪するのもいいかもと思いました。
なんと言っても重要文化財でワークショップなんて贅沢ですよね。

この後、湯島天神でお参りして、
居場所を作った建築家の展覧会に向いました。